北アイルランド
政治的背景 権利、安全保障、機会均等 アイルランド国際基金(IFI)
1980〜1990年代 武装解除 イギリス議会への代表派遣
多党間協議 安全保障 欧州議会
聖金曜日協定とその実施 警察と公正 地方政治
支持宣言 囚人 人口
憲法問題 妥当性確認・履行・見直し  

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政治的背景
アイルランドの政治的分割は1920年に始まる。それ以前はアイルランド全域がイギリスの一部として統治された120年間を含め、何世紀にもわたってイギリスに支配されていたが、1921年にイギリス・アイルランド条約が締結され、32州のうちの26州が独立を果たした。残った6州は北アイルランドとして英国の統治下に留まり、その統治権はウェストミンスターにある英国議会に残されたが、様々な権力は、1920年に設立されたベルファスト郊外のストーモントにある地方議会と行政庁に委ねられた。
ジャイアント・コーズウェイ、アントリム州
北アイルランドは英国議会に議員を選出していたが、1921年から1972年まで、ストーモント政府がイギリスから実質上自立して地方行政を司っていた。政権はこの地域の多数派で、イギリスとの連合を望む人々を支持母体とするユニオニスト党が独占していた。分割時に北アイルランドの全人口の3分の1を占めていたナショナリスト派は、北アイルランド以外の人々と同じくアイルランドとの統合を望んでいた。しかし、地方政府に参加することができず、投票権、住宅、雇用など地域生活の様々な面で差別に苦しんできた。

1969年に市民権の獲得を目指して非暴力抗議運動が起きたが、ストーモント政権から強硬な弾圧を受け、その後しばらく政治的危機が続いた。やがてそれがきっかけとなって市民暴動が起こり、ユニオニスト地域とナショナリスト地域それぞれの準軍事組織による暴力行為が復活した。

このような不穏な情勢の中、北アイルランド地方議会および行政庁は1972年に停止され、英国政府が北アイルランドをあらゆる面で直接統治することになった。それ以来、1974年にサニングデール協定の下で権限を分担した地方行政機関が設けられたほんの短い期間を除いて、北アイルランドは1999年12月まで、英国政府閣僚である北アイルランド担当相によって直接統治された。

1999年12月2日、政権は英国議会から、1998年の聖金曜日協定(Good Friday Agreement)の規約に基づいて設立された、ナショナリスト・ユニオニスト双方の代表を含む北アイルランド議会と行政府に委譲された。
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1980〜1990年代――政治的解決を求めて
1980年代の初頭から、英国・アイルランド両政府は密接に協力しながら、北アイルランドをめぐる対立を解消すべく、広範な支持を得られる永続的な政治的解決策を模索した。

1981年、両国関係を処理する正式な枠組み作りを行うためイギリス・アイルランド政府間評議会が設立された。

1985年11月、アイルランド・英国両政府はイギリス・アイルランド協定に調印、これによりアイルランド政府が北アイルランド問題について見解と提案を表明する仕組みができた。

1991年と92年にはアルスター統一党(UUP)、社会民主労働党(SDLP)、民主統一党(DUP)、北アイルランド政党連合が参加した円卓会議が開かれ、いくつかの一致点が確認されたが、完全な合意には至らなかった。

1993年12月15日、両国政府は住民自決と合意を中心とした基本原理に基づく共同宣言を発表、政治的解決による和平の追求を宣言した。またこれには、もっぱら平和的な手段を追求する公約を掲げる民主的政党なら、将来行われる対話に全面的に参加できることも記されている。

1994年8月31日、IRAは「軍事作戦の完全停止」を発表した。これに続き1994年10月13日、ロイヤリスト合同軍事司令部からも同様の声明が発表された。この停戦声明に続いて、両国政府はシン・フェイン党と2つのロイヤリスト派政党、進歩統一党(PUP)およびアルスター民主党(UDP)と、直接的な政治対話に入った。

1995年2月、両国政府は「合意のための新しい枠組み」(通称「枠組み文書」)を発表し、包括的な交渉によって結論を出すことに共通の理解を示し、広範囲にわたる包括的な話し合いを行うための精力的努力を続けた。

準軍事組織の武装放棄問題が協議の進展を阻んでいたため、1995年12月に両国政府はこの問題を第三者の評価に委ねるべく、米国のジョージ・ミッチェル上院議員を議長とする国際委員会を設立した。1996年1月24日の報告書で国際委員会は、全準軍事組織の完全かつ検証可能な武装放棄を含めた、民主主義と非暴力の6つの原則を守るよう全交渉参加当事者に勧告した。

ところがIRAは1996年2月9日に停戦破棄を発表、武力行使を再開した。両国政府は政治的合意を探る努力を続け、停戦回復がシン・フェイン党との政治対話を再開することにつながるとの期待を表明した。
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多党間協議
1996年6月10日、英国・アイルランド両国政府と、96年5月の特別選挙で多数票を集めた北アイルランドの政党(UUP、DUP、SDLP、連合、PUP、UDP、英国統一党(UKUP)、北アイルランド女性連合(NIWC)、労働党、ただしシン・フェイン党は停戦が成立していなかったために除外)との間で多党間協議が始まった。この会談はミッチェル米上院議員が議長を務め、ハリー・ホリケリ元フィンランド首相とジョン・ド・シャートラン元カナダ陸軍参謀長が補佐役を務めた。

最初の1年間は、手続きや議題、武装解除の問題の協議に手間取り、ほとんど進展がなかった。1997年7月20日にIRAが再び停戦を発表するに及んで、シン・フェイン党が9月9日に会談に加わることになった(シン・フェインの参加によってユニオニスト勢力の2党が交渉から離脱したが、ユニオニスト地域の多数の住民を代表する党は交渉のテーブルに残った)。

実質的な交渉は1997年9月24日にベルファストで始まった。集中協議の最終局面では、バーティ・アハーン首相とトニー・ブレア首相がそれぞれの政府代表団を率いて交渉に臨んだ。
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