現代のエジプト文化のハイライト

エジプトの現代社会と文化は、様々な歴史の層が混じり合ってできたものです。おそらく、現代エジプト文化の主要なテーマの一つは、歴史の様々な層の調和と、現在の社会経済および政治情勢の状況に即したその継承だと思われます。

ガマル・ハムダン(1993年死去) は、21世紀における真に"博学な学者"です。彼の業績は、あらゆる才能を組み合わせたものでした − 地理、歴史、心理学、経済、政治。また、文学的才能も顕著に反映されています。 彼の有名な著書の中には、The Character of Egypt(エジプトの特質)Studies of the Arab World(アラブ世界研究)The Contemporary Islamic World Geography(現代イスラム世界地誌)があります。 この3冊の本は書かれた時は違いますが、調和の取れた三部作を形成しており、包括的な視点で統一されています。エジプトの自然、経済、政治、文化的特性と、周囲の地域環境におけるエジプトの位置が深く洞察されています。


ターハ・フセイン(1898年から1973年)は中流の下の農家に生まれ、幼少期に視力を失ったことで非常に苦難に満ちた人生を送りましたが、

1908年に当時新しく創設された普通大学の最初の入学者の1人でした。彼は、この大学の最初の卒業生で、無神論者の詩人で哲学者のアブ・アララ・アル・マーリに関する論文で博士号を取得しました。大学の教育使節団の一員としてフランスに留学し、14世紀のアラブの思想家イブン・カルドゥーンに関する論文で、エジプト人としては初めて、また使節団の中ではだた1人、モントペリエ大学でまず学士号を、続いてソルボンヌ大学で博士号を取得しました。

彼の業績は、三つのカテゴリに分けられます。常に既存の知識を振るい落とす方法で歴史に対する批判的なアプローチを行いアラブ文学とイスラムの歴史の科学的な研究、貧困と無知と戦う社会的な内容の独創的な文学作品、それに、リベラルな傾向を顕著に打ち出した政治的な記事です。

社会政治的な勇気と既存の価値に挑戦する力ばかりでなく、自分自身の意志および知識への探求によって、彼はアラブ文化のルネッサンスを率いるリーダーの1人となりました。彼が追求したのは、西洋の価値と考え方を近代化し同化してアラブ文化に取り込むことによる、イスラムとアラブの文化および言語の再生と維持でした。

ナジーブ・マハフーズ (1911年生まれ)は1985年にノーベル文学賞を受賞し、アラブを代表する小説家の1人であり、現代アラビア文学の最も著名な作家のうちの1人です。また、アラブ以外の世界で最もよく知られたアラブの作家のうちの1人にも入っています。彼の小説の多くは、様々な外国語に翻訳されています。

彼は1911年に、カイロの旧市街地であるガマリヤで生まれ、その出生地は彼のいくつかの小説の舞台となっています。彼は1939年に最初の本を出版して以来、半世紀以上にわたって32の小説と13の短編集を著しています。

英語ばかりでなく、他の言語にも翻訳されている彼の最も重要な著作は、以下の通りです。

 マハフーズの文学は、主として急速な社会、政治、および文化的変化を半世紀にわたって目撃してきたエジプトのミドル・クラスの関心と夢に焦点を当てたものです。また、このクラスの知識人の哲学と精神状態にも焦点を当てています。彼は、古典的な現実主義の小説形態、寓話的な小説、現代的な哲学的中編小説ばかりでなく、不条理文学の形態も手がけるなど、様々な形の小説を著しています。彼の文学が偉大であることの理由の一つは、自分が属する極めて特殊な社会、すなわち現代のカイロの極めて特殊な社会に対する批判の目を提供するだけでなく、現代の人間が抱える問題に対する普遍的な見方も提供していることにあります。

1988年のノーベル文学賞授与の際に、スウェーデンの文学アカデミーは、「ニュアンスに富んだ作品 − 時には現実を鋭く見据え、時には曖昧さを漂わせた − を通して(マハフーズ)はすべての人類に当てはまるアラビア語の文学を作り出した」と述べています。

ザキ・ナジーブ・マハムド (1905年から1995年)は、長年にわたり哲学、文学、批評、論理、翻訳、および文化の王国を旅してきました。その生涯を通じて、彼は多くの傑作を世に送り出しました。51冊の本、何百という記事や論説などです。彼の自伝はアラビア文学史上最大の傑作の一つと考えられており、前例のない率直な公明正大さと絶対的な率直さで、自身の科学的および文学的な生活を記述しています。

彼は、現代アラブ思想界における道理実証主義の主要な提唱者の1人です。彼は、アラブ思想界がその批判的な分析と再生によって、モダニズムから生じる難問と好機に対応できるようにすることを望んで、アラブ思想界の再生と刷新に関心を寄せていました。彼は、エジプトとアラブの双方の現代文化に計り知れないほどの貢献をしました。

彼の著作には、以下のものがあります。

サラ・タヘルは、最も著名なエジプトの画家のうちの1人です。彼は古典的でアカデミックな絵画で、30代に画家としてのスタートを切りました。しかしまもなく、幾何学的な絵画に移行しました。彼の抽象的な表現スタイルは、1962年後半から現在に至るまでの間に結晶化されたものです。

タヘルは高い知名度をもち、人道主義的研究に精通しており、他のアラブの芸術家とは大きく一線を画したすばらしい作品を生み出しました。描いた絵画は15,000点以上に登り、80を越える美術展を開催し、エジプトだけでなく、ベニス、ニューヨーク、サンフランシスコ、ジュネーヴ、ベイルート、クウェート、ジェッダなどの海外でも作品を展示しています。彼はまた、エジプトでの67の合同展覧会に参加しています。

インジ・エフラトウン(1989年に死去)は、1942年以来、アバンギャルドの展覧会「芸術と自由の集団」に参加していました。これは、アカデミズムおよび当時姿を現わしつつあったフォーマリズムの束縛から、エジプトの現代美術を解き放つことを試みた最初の集団でした。1946年に、彼女のシュールレアリストとしての時代は終わり、政治的および社会的な作品への取り組みが始まりました。彼女はエジプト人の個性と、自分を取り巻く自然環境の特性を探りました。彼女は田舎を巡り、静かに辛抱強く働く抑制された普通の人々の現実と夢を表現することに努めました。

1952年3月に彼女はカイロで最初の個展を開き、それ以降、エジプトおよびローマ、パリ、ドレスデン、ワルシャワ、モスクワ、プラハ、ニューデリー、クウェートなどの海外において、28回の個展を開きました。1975年に、国際婦人年にあたってカイロで開催された「半世紀にわたるエジプトの女性アーティスト」展が、エフラトン夫人の援助を得て組織されました。彼女の作品は、カイロ、アレキサンドリア、ドレスデン、ワルシャワ、ソフィア、モスクワの現代美術館、およびエジプト内外の個人コレクターに買い取られました。1986年に、彼女はフランス文部省から「芸術と文学の騎士」と呼ばれる勲功メダルを授けられました。

カイロ文化センター

1983年4月のムバラク大統領の公式な日本訪問中に、両国の既存の友好関係を強化したいという強い願いを表すものとして、日本政府はエジプトに新しい文化センターを建設するための費用5000万ドル(65億円)を贈りました。カイロのナイル川沿いにある多数の文化センター建築物の中に、エレガントでモダンなカイロ・オペラ・ハウスが建っています。オペラ・ハウスの周囲は、ナイル美術館、現代美術館、プラネタリウムなど他の文化施設が組み合わされた建物が取り巻いています。日本の支援組織が資金を提供したプロジェクトを実現するにあたり、その設計と監督は日本の会社が行いました。

新しい文化センターは、エジプトの文化ライフを豊かにする活動の中心となっています。このセンターによってエジプトは多数の海外の交響楽団、バレエ団やその他の舞踏集団、オペラや劇団を収容できるだけでなく、西洋的および伝統的をとわず、様々な芸術形態のエジプトの芸術集団の養成にも寄与しています。また、数多くのエジプトのアーティスト、特に若いアーティストに素晴らしい展示スペースを提供しています。

カイロ

王朝時代の史跡
メンフィス:
メネス王によって建設されたエジプト最古の首都。カイロの南西24キロのアル・バドルシェーンにあります。

サッカーラ:
最古の古代エジプト墓地。カイロの南西(階段ピラミッドなど)。

ギザのピラミッド
カイロから約10キロ。クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドは、たくさんの小さなピラミッドや無数の王族・貴族のマスタバ(地下墳墓)に囲まれています。

スフィンクス
カフラー王のピラミッドがある谷の神殿に行く途中にあります。ライオンの胴体と人間の顔をした像です。

キリスト教関連の史跡
古い教会のほとんどはオールド・カイロ地区にあり、バビロン城の遺跡の上に築かれています。

コプト美術館

ハンギング・チャーチ(宙づりの教会):
4世紀後半に建立。バビロン城の南門の真上に築かれています。

聖セルギウス教会:
5世紀初めに建立。聖家族(幼子イエスと両親)が滞在した洞窟の上に建てられています。

聖母マリアの木:幼子イエスを連れたヨセフとマリアがヘロデ王による幼児虐殺を避けるためにエジプトに逃げた時に、マリアが休憩した木だと伝えられています。

イスラム教関連の史跡:
フスタート・モスク:
エジプトで最初に建てられたモスク(礼拝堂)

アズハル・モスク:
971年に作られたファティマ朝の最初のモスク。イスラム世界で最も古い大学と考えられています。

ムハンマド・アリ・モスク:
1830年にシタデル地区北部の高台に建てられたモスク

現代のカイロの魅力:
国立文化センター(オペラ・ハウス)、カイロ国際会議センター、カイロ・タワー、エジプト博物館、音と光のショー、コプト博物館、ファラオ村、イスラム芸術博物館、軍事博物館など。
カイロでショッピングを楽しめるエリアは、カイロ新市街:ダウンタウン・ヘリオポリス・ザマリック・モハンデシーンなど。
伝統的な市場はハーン・ハリーリー、ケルダサ、ハラネヤなど。

アレクサンドリア
「地中海の輝ける真珠」と呼ばれるエジプト第2の都市。重要な港の1つでもあります。美しい砂浜で知られるすてきなビーチがたくさんあります。

ルクソール
上エジプトで最も重要な観光スポット。かつてはテーベ(アモン神の都)という名で、第17王朝から第20王朝までエジプト帝国の首都が置かれていました。市街や壮大な神殿があるナイル東岸地域と、葬祭殿や墓のあるナイル西岸地域に分かれます。

アスワン:
冬のリゾート地であるとともに、ナイル川沿岸で最も美しい場所の一つです。アブ・シンベル神殿(紀元前1300年から1331年にかけてラムセス2世が建設した2つの神殿)などの史跡がたくさんあります。

シナイ
シナイ半島は、美しい砂浜がたくさんあることで有名です。北部にある主なビーチは、アリーシ、ラファハなど。南にも、たとえばラス・ムハンマド、シャルム・シェイク、ダハブ、ヌエバ、タバなど数多くのビーチがあります。宗教にちなんだ観光スポットとしては、シナイ半島の中心に聖カトリーナ修道院があります。6世紀に建てられたこの修道院には、古代の図書館・教会・モスク・預言者モーゼの目の前に現れた「燃える柴」の跡などがあります。場所は、モーゼが神から十戒を授かったモーゼ山の近くです。

紅海:
紅海沿岸地方は、透明な水と珊瑚礁と珍しい魚で有名。なかでもハルガダは、アイン・アル・ソクナと並ぶ紅海沿岸で最も大きなリゾート地です。

イスマイリア:


ミスルトラベル

ギザ高原(Giza plateau)

エジプト旅行をする前に(Planning your visit to Egypt)

エジプト観光ネットワーク(Egypt's Tourism Net)

エジプト・色彩の旅(Color tour of Egypt)

エジプトにはすべてがある(Egypt has it all)

エジプト旅行マガジン(Egypt's Tourism magazine)

カイロ シーン(Cairo scene 究極のアートとエンターテイメントガイド )

エジプトのサッカー(Egyptian Soccer)

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エジプトの料理法(Egyptian recipes)